松葉杖生活で気づいた「停電したら詰んでいた」という現実
松葉杖生活で気づいた「停電したら詰んでいた」という現実
去年の今頃、右膝の手術を受けて、しばらく松葉杖生活を送っていた。手術自体は無事に終わったが、そのあとの生活は制限だらけだった。しゃがめない、片手がふさがる、重いものが持てない。普段なら意識もしない動作のひとつひとつに、いちいち時間がかかった。
妻と同居しているが、日中は仕事で家を空けている。松葉杖が外れるまでの間、朝送り出してから夜帰ってくるまでは、家の中で基本的にひとりだった。困ったことがあっても、すぐには誰も来られない時間帯がずっと続いていたことになる。
分電盤に手が届かないという小さな絶望
ある日、家のブレーカーまわりを確認する必要があって、玄関脇の分電盤の前に立った。普段なら椅子を持ってきて数秒で済む作業だ。でも松葉杖を両手で支えながらだと、片手を伸ばしてスイッチに届かせることすらできない。椅子を運ぶにも、両手が塞がっていては運べない。
結局その日は何もできず、妻が帰ってくるまで待つことになった。実際に停電が起きていたわけではない。ただ、この「もし今停電していたら」を考えたとき、背筋が冷えた。冷蔵庫の中身も、スマホの充電も、夜になれば明かりも、全部が止まる。それを自分の力だけでは復旧させる手段がまったくない状態だったからだ。
「できない」は怪我でなくても起こる
この経験をしてから、在宅避難の備えというものの見方が変わった。多くの防災情報は「健康な大人がひとりで対応する」ことを前提に書かれている。水を運ぶ、重い物を移動する、しゃがんで作業する、階段を使う。どれも、動ける体があってはじめて成立する行動だ。
でも実際には、捻挫でも、腰痛でも、術後でも、体調不良でも、「いつも通りに動けない時間」は誰にでも起こりうる。しかも同居家族がいるからといって、常にその場にいてくれるとは限らない。仕事、通院、買い物。家族が出払っている数時間が、たまたま非常時と重なる可能性は普通にある。
今、自分が備えているもの
あの経験のあと、いくつか変えたことがある。ひとつは、モバイルバッテリーを松葉杖生活中でも片手で持てる位置に置くようにしたこと。もうひとつは、水や簡易トイレのような重いものを、玄関から遠い収納の奥ではなく、生活動線の近くに分散して置くようにしたこと。取りに行く距離と持ち上げる動作を、できるだけ減らす配置にした。
完璧な備えができたとは思っていない。今でも「もし今、あの松葉杖生活のときに大きな地震が来ていたら」を考えると、正直まだ不安は残る。ただ、動けない状態を経験する前と後とでは、備えに対する解像度がまったく違う。これから書いていく在宅避難の記事は、この経験を起点にしている。
この記事は筆者自身の実体験に基づいています。医療的な判断や持病がある方への具体的な推奨を目的としたものではありません。
この記事が役に立ったら:
X でシェア